こんにちは。Yukiyanです。
この記事を書いているのは4月です。
春は出会いと別れの季節ですね。新学期や新生活にウキウキしている方も多いのではないでしょうか?
今回ご紹介するのは一人の不器用な男の人生を大きく狂わせた、出会いと別れの物語です。
隣に引っ越してきた母子を守るため、人生をかけて元旦那の殺害を偽装した数学教師石神。彼の完璧な犯行を、その友人ガリレオ先生こと物理学者・湯川が解き明かす長編ミステリー。
この話は今をときめく推理小説家・東野圭吾の代表作と言っても過言ではないでしょう。
映画化もされたこの作品は、その美しく残酷な結末に「感動した」「涙した」方も多かったと聞いています。
私事ですが、うちの母も「感動した。ここまで人に愛されたい」という感想を漏らしていましたよ。
ここまで読む人を感動の渦に巻き込んだのは、
真犯人・石神の覚悟を決めた行動と、最後の最後まで母娘を守り抜こうとした鉄壁の心でしょう。
理不尽な要求を繰り返す元夫を誤って手にかけてしまった隣人を自分がストーカーと誤認され、刑務所に入ってまで守り抜く。
確かに並大抵の覚悟がなければできることではありません。
ただここにもし、疑問符を落として良いのなら私は問いたい。
「本当に完全な自己犠牲だと思っているのですか?」と。
仮に石神の思うようにことが運んだとして、奥さんが再婚したとして、母娘が石神を忘れようと努力したとして、幸せな人生を歩んだとして、ですよ。
それでも母娘にとって石神は一生忘れられない人間となったことでしょう。
そして石神はそのことを塀の中から思うことで満たされ、一生を過ごしたことでしょう。
それでも美しい自己犠牲と言えるでしょうか?
人間は育つ過程で自尊心や愛情が育まれますよね。
ですが自尊心が育たなかった人間は、
自分を大切に考えられず、他人からの愛を得るために相手からの無茶な要望に答えたりできるものなのです。ホストに貢ぐ女性などは典型的ですね。
石神も例に漏れず、自尊心が低い人間の一人だったのでしょう。
隣人の思わぬ事態に全身全霊で応えられたのはこのせいなんでしょうね。
終盤で奥さんといい関係の男性との結婚を勧めていますが、これも自尊心が欠けているために出てきた言葉でしょう。
「自分みたいな男はこんな素敵な人の隣にいるべきじゃない」
こんな思考は自分を大切にしていたら出て来ませんからね。
私は思うのです。この話を読んで涙できる人は幸せな人なんだろうなと。
自尊心がきちんと育っている証拠です。
もし自分だったらどうするか、と、石神に置き換えて考えてみるのも面白いですよ。